森羅万象を刻む―デューラーから柄澤齊へ
展覧会概要
いつも目にしている紙幣に線の世界が広がっていることをご存知でしょうか。よく見ると小さな画面のなかで細い線や太い線と、自由な曲線や規則的な点線とが組み合わさって肖像や風景が表わされているのです。その多くは「ビュラン」と呼ばれる版画の彫刻刀によって刻まれたもの。習得が難しく、制作にも時間がかかります。
それゆえ熟練の技はまさに超絶技巧。1ミリの間に10本以上の線を刻むことができるうえ、さまざまな質感や量感を刻線のみで表わすことも可能です。また強じんな集中力をもって彫り続けるためでしょうか。ビュラン作品には作り手の心が色濃く反映されたものが少なくありません。版画家の手業と精神が出会うとき、あらゆるものが版面に刻まれうるのです。
表現の可能性を開拓したアルブレヒト・デューラーをはじめとする西洋の先達たちと、その心技を昇華させた柄澤齊(からさわひとし)ら日本の版画家たち―本展では彼らの作品約200点によって、ビュランから生まれる版画「エングレーヴィング(直刻銅版画)」と「木口木版画」の魅力にせまります。時空をこえて呼応しあう古今のビュラン作品をご堪能ください。
第一章 価値を刻む―エングレーヴィング
エングレーヴィングは1430年頃のヨーロッパで金工品の装飾技術から派生しました。この版画は銅板にビュランの鋭い刃先で線を刻み込んでいくため、それまでの木版画には無い精細な描写が可能となりました。これに創作意欲を刺激された初期の版画家たちは競い合うかのように腕を磨き、作品の芸術的「価値」を高めていきます。そして誕生から一世紀も経たないうちにアルブレヒト・デューラー(1471-1528)の手でエングレーヴィングはひとつの完成を見ることになりました。
一方、この版画技法はお雇い外国人エドアルド・キヨッソーネ(1833-1898)によって日本の大蔵省紙幣寮にもたらされています。熟練を要する精緻な表現は偽造が難しく、紙幣や切手の発行に不可欠だったためです。単なる紙が経済的「価値」を持つことを、西洋の先達の極めたビュランの技が保証してきたともいえるでしょう。第一章では西洋の巨匠たちの傑作と紙幣や切手などによってエングレーヴィングの本質をうかびあがらせます。
第二章 情報と物語を刻む―木口木版
木口木版画は堅く締まった版木をビュランで刻んで作られる版画です。新聞や書籍の挿絵として19世紀の西洋で発展し、同じ凸版である活字と共に報道・広告の「情報」や小説・おとぎ話といった「物語」を多くの人々に伝えていました。この版画の創始者的存在トマス・ビューイック(1753-1828)は動物や鳥の姿を正確に表わし、ギュスターヴ・ドレ(1832-1883)の原画と彫師の技巧は書籍の挿絵を芸術の域にまで高めました。一方、マックス・エルンスト(1891-1976)は既製の木口木版画を切り貼りすることで「コラージュ・ロマン」と呼ばれる不可思議な物語を生みだしています。第二章では実用性と芸術性を兼ね備えた木口木版画の歴史を紐解きます。
第三章 刻線の小宇宙―人体・肖像
ビュランの刻線を堪能することができるテーマが人体と肖像です。長さと太さの異なる線や平行線と交差線などの組み合わせによって、さまざまな量感をもつ人体が表わされてきました。さらに肖像画では衣服の布や甲冑の金属といった材質の違いまでもが巧みに再現され、見る者を驚嘆させます。とりわけ注目すべきは、キリストの顔を拭った布に彼の顔が浮かび上がった逸話にもとづくクロード・メラン(1598-1688)の《聖顔》でしょう。よく見ると鼻先から始まる交わらない一本の線だけで全てが表わされているのです。第三章では人の姿から刻線による表現の多様な世界を紹介します。
第四章 刻線の大宇宙―自然
刃先を押し進め、線を刻んでいくビュラン。この動きが線に躍動感と生命力を与えます。ルーベンス(1577-1640)の油彩画を彫師がエングレーヴィングで表わした風景画では、大気や水の流れが原作以上に強く感じられます。フランスにわたり版画の古典技法を復興させた長谷川潔(1891-1980)は、ビュランの凜とした線によって身近な草花を神秘的なものに変容させました。それらの作品は彼の遺した「白昼に神を視る」という言葉を想起させます。「視えるがままに」手を動かして刻まれた門坂流(1948-2014)の流麗な線は、彼の眼とビュランの動きの痕跡であると同時に、自然の内包する生命力を顕在化させたかのようです。第四章ではビュランのよる刻線の力が如何なく発揮された自然を題材とする作品を紹介します。
第五章 刻線の彼方へ
ビュランは目に見えない幻や心、捉えどころの無い時間や空間にもかたちを与えます。ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は独自の解釈に基づいたダンテ『神曲』を、渡辺千尋(1944-2009)は自らの心象風景をエングレーヴィングで表現しました。いずれもビュランの刻線が幻想的な作風に欠かせない要素となっています。日和崎尊夫(1941-1992)の木口木版画では、線を刻む時間と版となった木が宿していた命がからみあい、小さな画面のなかに無限の世界が広がっています。木原康行(1932-2011)が刻んだ幾何学的かつ有機的なかたちは、うつりかわる時間と空間、そして生命までをも表わしているかのようです。版画家の手業と精神が織りなす刻線の極致ともいうべき作品群を紹介します。
第六章 柄澤齊―森羅万象を刻む
木口木版画の可能性をひらいてきた柄澤齊(1950年生まれ)。日和崎尊夫の作品に感銘を受けてビュランを手にした柄澤は、確かな技巧と豊かな想像力、そして版画の歴史や概念に対する鋭いまなざしによって独自の世界を構築してきました。紙幣への憧憬と考察から生まれた《柄澤札》や、古今の著名人に取材した『肖像シリーズ』など、前章までの作品と共鳴するものも少なくありません。初期の作品から自作の木口木版画を切り貼りしたコラージュ作品、細部にまで彼の美学がいきとどいた本の装丁・挿画などによって、あらゆるものをビュランに託し刻んできた柄澤齊の歴程をたどります。
出品予定作品
1.マルティン・ションガウアー《ピラトの前のキリスト》
1475-85年頃 エングレーヴィング
2.アルブレヒト・デューラー《メレンコリア Ⅰ》
1514年 エングレーヴィング
新潟県立近代美術館・万代島美術館
3.クロード・メラン《聖顔》
1649年 エングレーヴィング
4.トマス・ビューイック《チリングハムの野生の牛》
1789年 木口木版・手彩色
5.ケイト・グリーナウェイ『窓の下で』より
1878年 木口木版(多色)
6.柄澤齊《クロノスの盃》
1979年 木口木版・コラージュ・墨・不透明水彩
神奈川県立近代美術館(美浦康重版画コレクション)
※ 所蔵先の表記がないものはいずれも町田市立国際版画美術館蔵
展覧会情報
会 期 2016年4月29日(金・祝)~6月19日(日)
月曜休館
平 日 10:00~17:00(入場は16:30まで)
土日祝 10:00~17:30(入場は17:00まで)
観覧料 一般 800(600)円
大学・高校生・65歳以上 400(300)円
中学生以下は無料
*( )内は20名以上の団体料金
*展覧会初日4月29日は入場無料
*身体障がい者手帳、愛の手帳(療育手帳)または精神障がい者
保健福祉手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は半額
主 催 町田市立国際版画美術館 読売新聞社 美術館連絡協議会
協 賛 ライオン 大日本印刷 損保ジャパン日本興亜
日本テレビ放送網
助 成
出品予定作家
マルティン・ションガウアー(c.1450-1491)
アルブレヒト・デューラー(1471-1528)
ヘンドリック・ホルツィウス(1558-1616)
ウィリアム・ブレイク(1757-1827)
ギュスターヴ・ドレ(1832-1883)
マックス・エルンスト(1891-1976)
長谷川潔(1891-1980)
木原康行(1932-2011)
日和崎尊夫(1941-1992)
渡辺千尋(1944-2009)
門坂流(1948-2014)
柄澤齊(1950-)
関連催事
記念講演会 「ど版画―ビュランは版画の王道」
講師 | 柄澤齊(版画家) |
日時 | 5月14日(土)14:00~15:30 |
会場 | 1階講堂 先着100名 |
公開制作 「てのひらの宇宙―直刻銅版画・エングレーヴィング」
実演と解説 | 尾﨑ユタカ(銅版画家) |
日時 | 5月7日(土)13:30~16:00 *途中休憩含む |
会場 | 1階アトリエ |
プロムナード・コンサート
演奏 | Duo Iris(デュオ・イリス) 【真野謡子-ヴァイオリン、後藤加奈-ピアノ】 |
日時 | 5月28日(土) ①13:00~、②15:00~(各回30分程度) |
会場 | エントランスホール |
ギャラリートーク
館長 | 5月29日(日) |
担当学芸員 | 5月15日、22日、6月5日、12日(日) |
体験コーナー 「ビュランにふれてみましょう」
日時 | 5月14日、6月4日(土) 各日11:00~12:30、14:00~16:30 |
会場 | 2階ロビー |
日時 | 5月14日、6月4日(土) 各日11:00~12:30、14:00~16:30 |
会場 | 2階ロビー |
プレスリリース
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